インドネシア大統領がミャンマーへ、「盟主」復権狙う


◎【ジャカルタ=黒瀬悦成】インドネシアのユドヨノ大統領は、3月初旬にミャンマーを初訪問する方針を決め、日程の最終調整に入った。
 東南アジアの「民主化の旗手」を自負するインドネシアは、域内の最大懸案であるミャンマー問題の解決で主導的役割を果たすことで、「東南アジア諸国連合ASEAN)の盟主」への返り咲きを図りたい考えだ。外務省幹部や関係筋によると、大統領はタン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長と会談し、インドネシアスハルト権威主義体制を脱し民主体制に移行した体験を踏まえ、軍政に民主化を働きかける。

 具体的には、当時のスハルト大統領が権力の座に固執したため、大規模暴動などの社会的混乱が広がり、結果として域内での影響力低下につながった「苦い教訓」を紹介し、軍事政権に「大胆かつ早期の民主化」を断行して国民の不満を吸収するよう説得する。同時に、今年1月末から休会中の新憲法制定に向けた国民会議の早期再開も求める見通しだ。

 ミャンマー問題を巡っては、ASEANが昨年12月の首脳会議で、同国の実情把握のための特使としてマレーシアの外相を今年1月にも派遣すると決定。しかし、軍政側は「首都機能をヤンゴンから(約320キロ)北方のピンマナに移転中で忙しい」として同外相の受け入れ延期を表明した。

 ところが、「多忙」なはずのソー・ウィン首相は今月14〜18日に中国を公式訪問。米国は昨年12月、国連安全保障理事会の非公式協議でミャンマー問題を初めて議題とするなど、国際舞台で対ミャンマー圧力を急速に強めている。このため、首相訪中は、安保理で拒否権を持つ中国からの支持を再確認する狙いがあったと見られている。

 しかし、置き去りにされた格好のASEANは不信感を募らせており、ユドヨノ大統領の訪問は、ミャンマーASEAN陣営に引き戻す機会としても注目される。

 ミャンマーは元々、スハルト大統領の強い推薦で1997年にASEANに加盟した。軍政側も、国軍の影響力を背景としたスハルト体制を、自身のミャンマー支配を正当化する政治モデルに想定。同年末には軍政首脳がジャカルタを訪れ、国軍・警察が一定議席を確保する議会制度を研究した経緯がある。

 また、ともに軍人出身のユドヨノ、タン・シュエ両氏は昨年4月にジャカルタで会談し、「関係を構築済み」(関係筋)との見方もあり、インドネシア側はこうした「財産」をテコに、事態打開を目指す構えだ。(読売)